SSブログ

Trauermusik für Leopold von Anhalt-Köthen [コンサートの記憶]

ケーテン侯のための葬送音楽 
       ~浜離宮朝日ホール

(出演)
指揮:大塚直哉

ソプラノ:鈴木美登里 
アルト:青木洋也  
テノール:櫻田亮 
バス:小藤洋平 

合唱:東京マルコ受難曲合唱団(合唱指揮 : 吉田真康)
器楽アンサンブル:コーヒーカップ・コンソート(古楽器使用)

(プログラム)
J.S.バッハ :「どうか候妃よ さらに一条の光を」 BWV198 追悼頌歌      

      「ケーテン侯のための葬送音楽」 BWV244a




'20Febケーテン候1.jpg






バッハがかいた二つの葬送音楽の演奏会。

先に演奏されたのはザクセン選帝候アウグスト一世の后である
クリスティアーネ・エバーハルディーネ(1727年逝去)の追悼頌歌。
候妃は政治目的のためにカトリックに改宗した夫のアウグスト一世に反対し
ルター派の信仰を守ったため、民衆から厚い信頼をよせられていた。
その訃報に民衆はとても悲しみ、ライプツィヒで追悼礼拝が行われた。
詞と曲は当時のライプツィヒを代表する詩人(ヨハン・クリストフ・ゴットシェート)と
音楽家(バッハ)に任された。



後半の作品はケーテン候レオポルトのための葬送音楽。
バッハがライプツィヒの聖トーマス教会カントール(音楽監督)だったのは有名だが
実はそれまでに何度か転職してる。
ケーテンでは宮廷で楽長をしていたが、
その時の君主であったレオポルト候は大変に音楽好きで、バッハの良き理解者だったという。
レオポルト候は自らガンバを演奏したので、
バッハは候がアンサンブルに加われるような作品もかいている。
ケーテン時代はバッハにとって自由に音楽活動ができ、
とても幸せな時だったと言われている。
レオポルト候が1728年に34歳という若さで亡くなった時
バッハはケーテンからライプツィヒに移っていたが
候の追悼のために葬送音楽をまとめ、追悼礼拝で演奏した。
この楽譜は失われてしまったのだが
幸い歌詞が残っていたので、そこから復元が試みられた。
バッハは自分の作品を引用して新しい作品に仕上げることが多く(パロディと呼ばれている)、
この作品は「マタイ受難曲」からの引用であることが突き止められた。
そのため作品番号は「マタイ受難曲」がBWV244なのに対して
「レオポルト候の葬送音楽」はBWV244a とされ、これまでにも何度も演奏されてきた。
しかし、どうしても復元不可能なレチタティーヴォは
この日は松岡あさひ氏が新しく作曲したものが演奏された。

しかし引用は「マタイ受難曲」の全曲ではなく
バッハが選りすぐった曲ばかり。
つまり、バッハのベスト・セレクション!
歌詞やオーケストラの編成は異なるけれど
珠玉の名曲が次々に登場するのは本当に心躍る。

それを、こんなにクオリティの高いオーケストラと合唱
そしてソリストの演奏で聴けるなんて!

指揮をした大塚直哉さんと
プログラム・ノートを書き、当日も非常に解りやすいプレ・トークをした加藤拓未さんは
ラジオ「古楽の楽しみ」で解説をしている仲。
二人でバッハの葬送音楽の再現演奏会をしよう!と話が盛り上がったのだそう。
それが、こんなに素晴らしい形で実現したのは
聴く側にとって、この上ない幸せ!

それにしても、バッハファンは凄い。
こんなにコアな演奏会なのに、満席だものw





'20Febケーテン候2.jpg





この日の白眉は青木洋也さんのアリア。

「マタイ受難曲」の「神よ憐れみたまえ」と同じ旋律に
抑制されたヴァイオリンが優しく寄り添い
追悼の歌詞で歌われる。
いつもに増して艶やかな声。
悲しみと亡き人への深い愛が迫ってくる。。

この日はアルトのアリアが他に何曲もあった。
青木洋也さんのソロがこんなに聴けるなんて
思いがけない幸せ。

しかも 今まで私が聴いた中でのベストパフォーマンス!

この他のどのアリアも
豊かな表現力で
本当に美しくて
もう 
放心状態

心に投影された蜃気楼は
煌めきを放って
ゆらめいている

いつまでも いつまでも。。






















ケーテンは2018年ライプツィヒ・バッハ音楽祭に行った時に訪れました。
  →バッハゆかりのオルガンめぐりⅡ










































nice!(9)  コメント(2)